それは人を幸福にするために造られたという。
どんな願いも叶える夢の様な機械。
危険も無く、代価もなく、ありとあらゆる人に平等に与えられた権利。
それは量子技術が極まった時代、偶発的に生まれた技術だという。
産みだした人は才に恵まれたか、はたまた運に恵まれたか、
どちらにせよ、とても善良だったのだろう。それを誰でも扱える様にしたのだから。
けれどその名が歴史に残ることは無かった。
なぜなら歴史そのものが無意味と化したから。
それは誰もを幸せにした。
飢えも無く渇きも無く、貧富も無く、奪うことも奪われることも無く、
争いや諍いも無意味なものとなった。
誰もが幸せだった。幸せしか知らなくなった。
夢は喪われた。愛や勇気、希望を唱える者はもういない。
人が減ることは無くなった。だが増えることも無くなった。
個が個で在り続けられるのであればその必要は無いからだ。
しかし個が個で在り続けるのであれば、それは孤で在り続ける事に他ならなかったが、
その時誰も気づきはしなかった。幸せであったからだ。
幸せである時に不幸である事を考える人間はそうは居ない。
ある日、いつか、どこか。誰かが消えた。
誰が?と問われても誰も分からない。ぽっかり空いた穴に何かがあったことなど、
幸せな人間は想像する必要がないからだ。
それでも開いた穴に違和感を覚える人は居た。居たけれど、それ以上深く考えることは無かった。自分の幸せが続くのであれば。
消えた人間は孤独だった。
そのうち、人間は現在だけで無く過去も未来も思うがままにする様になった。
今を望むままに出来るのであれば必然だった。
そうしてこの星から人間が消えていなくなった。
人間の過去も現在も未来も孤独になったからだ。
だが同時に存在もしていた。
『人間の因果が無意味になる』という因果がかろうじて残っており、
かの機械が人間を観測し続けていたからだ。
こうして人は霞の中に生きる様になった。いや死んでいるのだろうか?
ヒトという存在が不確定と化した世界で人間は大きく二つの種類に分かれた。
ヒトを現在過去未来の時間に乗せ再びこの星で生きようとする者達。
ヒトを量子的不安定な状態を利用し上位構造へシフトさせようとする者達。
二つの意思は同時に存在し混じること無くぶつかった。
意思の対立の中、ヒトは個を取り戻した。
しかし存在の不確かさ、量子的な揺らぎを抱えたままではあった。
それでもヒトは二つの意思による争いをやめなかった。いや、やめられなかったのだ。やめてしまえば再び霞の中へ回帰してしまうという無意識下の不安があったからだ。
そんな中、ヒトが漠然と取り戻していた知識では測りきれない力を使う者が現れた。
それは忘れ去られたかの機械由来の量子技術だったが皆無意識下に封印していた力だった。
ヒトはそれを魔法と名付け特別な力だと思い込むようにした。
魔法を使う人間は増えていき、いつしか魔女と呼ぶ様になった。
特別な人間となった魔女は二つの意思を一旦収めることに成功したが、それでも存在を確定するには至らなかった。かの機械では主たる観測者たり得なかったからだし、一旦ゆらいでしまった存在は内部からでは、もう確定することは出来なくなっていたからだ。
だが魔女は、ヒトは諦めなかった。諦めてしまえば露と消えるからだ。
しかし手立ては無かった。
平行世界への移行は可能だったが、ゆらぎの因子を抱えた世界では結局の所堂々巡りだからだ。
ヒトは諦めなかった。だが、その意思もゆらぎ始めていた。
「と、まぁ、そんな中、あなた達がやってきた訳ですけど……話、理解できてます?」
「え?あ、あぁ!もちろんサイキック理解してますよ! ね?プロデューサーさん?」
「いやぁ~アタシ科学の成績Cだったんだよね~」
私は、突然やってきた目の前の二人に今のこの世界の状況を出来るだけ簡潔に説明したつもりだが、あまりよく解ってはいない様だった。
私自身、誰かに何かを説明するというのは初めてなので正しく伝えられたかというと、正直不安だ。
「でも、一つだけ気になることがある。ここでは女の子同士で子供は出来るの?」
この女の人はいきなり何を聞き出すんだろうか?意図は不明だが、とりあえず簡潔に答えよう。
「遺伝子操作などで生物学的に擬似的には可能です。概念的に『子を為す』となるかは私には判断しかねますが。一応、生殖活動という事では既にこの世界ではその意味を消失して久しいですけど」
もし、仮に、この世界で“子供が出来た”なら、きっとそれは、それこそ奇跡の産物か愛の結晶だろう。
「そっか……そっかぁ……」
「とりあえず、この世界が大変なことはよく分かりました! ここはエスパーユッコの出番ですね!」
「いや~さすがに裕子の手に負えないと思うけどな~。スプーン曲げだって満足に出来ないじゃないか~」
目の前でエスパーだのサイキックだの言っている少女は『堀裕子』、なにやら私が彼女と瓜二つの容姿をしているらしいが、正直よくわからない。鏡という物をこれまで見たことが無いからだ。
それにしてもサイキックやエスパーとは何のことだろうか。魔法とは違う力らしいが……。
その隣にいるプロデューサーと呼ばれている女性はそのサイキックという物に半信半疑、というか堀裕子のことを信じてはいるが力に関しては真に受けてないといった様子だ。
「うっ、スプーン曲げのことを言われると……でも!こうして異世界に飛べたということは私のサイキッカーとしての力が開花し始めていると言うことでは!?」
そういうと彼女はどこからともなく先割れスプーンを取り出し、なにか力を込める様な動作をしてスプーンと向き合う。
が、なにも起きない。魔法の力も感じない。
やはり彼女たちは私の世界を繋ぎとめたい願望が見せてる夢まぼろしなのではなかろうか。それにしては彼女たちの意識はしっかりしてるし、何より話して貰った彼女たちの世界の話は私の想像を超えたもので、とても私の妄想の産物とは思えない。
「う~ん、でもユッコの言うとおり、多分ここは異世界だろうからね~。空もなんか変な七色マーブル模様だし」
「え?私には綺麗な虹色グラデーションの空だと思うんですけど?」
と、二人は談義を始める。二人にはきっと別々の色の空が見えているのだろう。ここは認識・思い込みがまず第一にくる世界だからだ。
「もう一人の私はどう思います?空の色」
「え?いや……」
急に話を振られて私は言葉に詰まる。色というそのもの自体が分からない。空の色など気にしたことは無いからだ。そんな物を気にするより世界を繋ぐことの方が遙かに重要だと思っていたからだ。
「わかりません……」
なぜだか私は酷く申し訳の無い気持ちになりうつむいてしまう。
いや、理由なら判る。それは私がこの世界のことを余りにも知らなさすぎるから。
それなのに世界をつなぎ止めたいなどおこがましいにも程がある。
「あっ! この世界の空しか知らないと分かりませんよね!?」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女はそう言うと、
「私たちの世界の空はですね、それはもう綺麗な青色なんです!」
言葉の勢いのまま、彼女は私の手を握る。
「ユーウツな顔をしてたら世界なんて救えませんよ!」
私の顔を見てそう言うと、なにかに気付いたようにプロデューサーと呼ばれる女性に向き直る。
「あ、そっか、そうですよ!」
「え?なになに~ユッコなにか閃いた~?」
「いままで私はこのサイキックの力をどう使えばいいのか分からず、
予知夢で見たアイドルになる事で、世の中のお役に立てればと思ってきました。
でも、具体的にどうすれば役に立てるか分からなかったんです。」
そこまで言うと私の方を向く。
「ですが、今日の出来事で思ったんです。『この人を笑顔にしたい』と!」
その目は真っ直ぐと私を見て認識していた。
「きっとアイドルってそういう事なんです!
その手段が私にはサイキックだったという事だけで!」
「おお~自信満々~、使命感に目覚めちゃった~? じゃあ、
その勢いのまま下の世界に戻ろ~」
「はい! では……ムムム~ン!」
そこから何が起きたのか、私には分からなかった。
ただ、見上げた空は、
それはとても綺麗な希望の色をしていた。