それはそれは、本当にただの気まぐれだった。
紙切れ一枚を渡された白雪千夜は、
いつもの笑みを浮かべる黒埼ちとせに尋ねた。
「そ♪ 千夜ちゃんと一緒に観たいなぁ。って思って」
「はぁ……」
千夜は了承とも呆れたとも付かない息をつき、
その手に持つ紙切れを見る。
『11.2プロダクションAnniversaryLive』と大きく書かれており、
チープでレトロなロケットのイラストと
そこからぶら下がる垂れ幕には<swing-by>と副題が書かれている。
ともすれば子供のいたずら描きとも思える安っぽいデザインのそれは、
しかし確かな紙質と
偽造防止であろう何かの鳥の尾羽根を象ったと思われるホログラムにより、
それが本物のライブチケットであろう事を訴えている。
「……お嬢様お一人で行けばよろしいのでは?」
湧いた疑問をそのまま口にする。
「ええー? 一人で行ってもつまらないでしょう?
私はちーちゃんとライブを楽しみたいのよ」
「私のような者と同行したところで楽しくなるとは思えませんが」
千夜は過去にも同じようにちとせの『気まぐれ』に付き合ってきたが、
突風のようなそれは、さりとて嵐にならずいつも気まぐれに終わっていた。
「せっかくおば様から無理を言って頂いたペアチケットなのよ?
一人では勿体ないでしょ」
だが、お嬢様が望むのであれば従うだけだ。
千夜という人形はそう言う存在だからだ。
果してライブの開催日が来た。
溢れかえる人は、しかし希望と期待の顔に満ちていて
確かな熱が渦を巻いていた。
「お嬢様、大丈夫ですか」
「うーん、思っていた以上に凄いのね。
充てられて倒れちゃったら宜しくね千夜ちゃん♪」
いたずらっぽく言うちとせに対し、
「そうなったら速やかに帰宅するだけです」
と、千夜はいつも通りに返した。
そう、いつも通りだ。
ここが非日常の空間だとしても、
白雪千夜と黒埼ちとせにとって、
二人さえ居ればそこはどこであろうと
いつでも二人の世界だし日常だった。
「一般席……VIP席などにすればよろしかったのでは?」
「まぁ、一応それも考えてたんだけど、
ここのライブっていつもそういうの用意しないらしいのよ。
でも、こういうのって高い所から眺めてるより
ここから見た方が臨場感味わえて良いんじゃない?」
「そういうものでしょうか……」
かくして祭演の幕は上がった。
入れ替わり立ち替わり、
様々なアイドルが歌を、踊りを、演目を披露し、
合間合間に演者の、あるいは観客との会話を楽しんでいった。
白雪千夜はただそれを眺めるだけだった。
もとよりライブなどに興味は無く、
お嬢様である黒埼ちとせが楽しんでくれればそれで良かった。
しかし、そのお嬢様は千夜の事を気に掛けるばかりで
ライブを楽しむ様子を見せはしなかった。
どうして此処に自分は居るのだろうかと千夜は思う。
無為な時間を過ごしているとも感じる。
さりとてやりたい事などとうの昔に喪った。
ただ、ただ、お嬢様の側に居ればいい。
何者でも無い自分など……そう、薔薇の花を包むような包装紙でいい。
せめてその役割を、使命を果たせる程度でいい。
思えばこの舞台にも照明を浴びて輝く裏で
幾人もの人間が影で働いているのだろう。
そう考えてみれば包装紙でも案外悪くないものだ、
ちとせお嬢様が輝く様を見られるのであれば。
もし叶うならば自分がその傍ら──いや舞台の袖口ぐらいでいいか──に立てる事を願う。
そうだ、もしかしたらこれこそが求めていた炎なのかもしれない。
今はまだ火とも呼べない小さな灯りだが、
千夜の心には確かに一筋の光明が見えた。
それを知れただけでも此処に来た意味はあったのかも知れない。
人知れず千夜は笑う。
未だアイドルに興味は無かったが、
それを教えてくれた彼女たちの事を少しは好きになれるかもしれないと。
千夜が思案を切り上げてみれば周りが静まりかえっていた。
祭の幕が下りたのだろうか?
いや、舞台の上にかすかな灯りに照らされた三人が立っているのが見える。
「あ、あれ? みんな静かになっちゃったぞ?」
眼帯の少女が言う。
「や、やっぱり……もりくぼ達が最後を飾るなんてむぅーりぃ……」
マイクに拾われてるとは思ってなさそうな
情けない声がスピーカーから出てくる。
「フヒ……ま、まぁ、私達三人のユニットなんて
知ってる方が珍しいからな」
眼光の鋭い少女が言う。
「そうか……そうだよな……。
でもだからなんだッ!
ウチらは今ここに居るんだッ!
知らないんだったら今から知ればいいッ!
『忘れるな』なんて言わないけど……ッ!
消えないキズアト、
ウチたちのたった一つの曲──∀nswer刻んでやるからな!」
なんの茶番が始ったのかと千夜が思っていると
近くの人間が急に膝を折った。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すみません、急に倒れ込んでしまって。
あのですね、今舞台にいる三人……前の事務所に居た頃にやったライブを見て以来のファンなんですけど、今の事務所に来てからバラバラに活動していてもう二度と見られる事は無いんだろうなってずっと思ってて、でもそれでも今まで応援してて、それがいま今ここに……ああ──」
突然捲し立てられて千夜はたじろぐが、構わずその人は喋り続ける。
いや、喋っているのではない。
せき止められていた想いが止めどなく溢れているといった印象だ。
「あっ、すいません。一方的に」
「いえ……」
持ち直したその人を横目に去る時、ふと耳にする。
「このライブ忘れない……死んでも忘れるもんか──」
そのつぶやきは何故だか千夜の心に強く残った。
「個性の嵐、巻き起こすッ!ウチ達が────」
その日、確かに私は夢を見た。
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